あなたがすきだよ。

他力を頼れるのも自力のうちだよ

その神の名はあやこ

前回は主にあやこの可愛いところについてお伝え出来たと思うが、今回は神としてのあやこに言及していきたい。

 

日本という国には、全ての物には神様が宿る、八百万の神という考え方があり、あやこもまた八百万の神のうちであることは言うまでもない。

 

あやこ本人はみんなの太陽になりたいとよく言っている。持ち前のトーク力で場を盛り上げるのが上手なので、そんな感じで人々に元気を分け与え照らしていきたいのだと思う。たまに引きこもっているところも見かけるので、天照皇大御神に通じるものがある。

だが、そんなポスト太陽神あやこも最初から立派な神であった訳では無い。始まりはそう、魑魅魍魎(ちみもうりょう)であった。

 

冒頭で日本には全ての物に神が宿るという話をしたが、魑魅魍魎は色々な妖怪や化け物の総称として使われることの多い言葉である。日本という国は結構適当なので、神や仏や化物の境目は曖昧であり、腐っていても食べられれば発酵と言うようなものだと思う。あやこのルーツはこの魑魅魍魎の左から三番目、「魍」にあたる。

魑・魅・魍・魎、この四つはそれぞれが別々の意味をもつ存在であり、詳しくは調べていただければわかると思うので割愛させて頂くが、「魍」とは川の精であるらしい。千と千尋の神隠しのハク様のようなものだろうか。ニギハヤミアヤコヌシ。

川の精だったあやこがなぜ太陽神になろうと思ったのかはわからないが、水も太陽も人が生きるのに欠かせないものだという点で言えば同じであるし、ただ流れる川よりも自発的に光り輝き積極的に人々を照らしたいと思ったのだろう。努力家なので。

川というものは、良いものも悪いものも全て飲み込んで流れていく。アヤコ川は魅力的であるが、その魅力は良いものも悪いものも引きつけ巻き込んでいくため、悪いものを巻き込みすぎると川がどんどん汚れていく。アヤコ川はミシシッピくらいには川幅が広いので、巻き込む力も中々である。自ら川に飛び込んでくる悪しきものたちに汚されていく川の精という立場から解放されたいという思いが、あやこを太陽神という高みへ向かわせたのかもしれない。

 

10月は神無月と呼ばれるが、旧暦のカレンダーで言えば、正確には28日頃からが神無月に当たるらしい。

この神無月には、日本中の神が出雲に集合するために、各地から神がいなくなるので神無月と呼ばれる。他にも諸説あるが。

出雲では逆に神様が集まるので、神無月を神有月と呼ぶという。多分、神様がわいわい騒いだり会議したりしてるのだと思う。

先日の台風は猛威をふるい、各地で被害が広がっている。火山の噴火と地震が同時に来るなど、どこかの神が怒っているとしか思えない。そのためあやこにも出雲に赴いていただき、どの神がどんな理由でこの災害を引き起こしたのか確認して欲しいと依頼した。

あやこは引きこもり気味の関東の神なので、本人も気にはなるが神無月でも東京を離れることに躊躇いがあるらしい。なので出雲に行くか行かないかは迷っている。おそらく前日あたりに出雲へ行くことを決めて、当日寝坊してやはり行かないことにするのだろう。神は神の時間で生きている。そもそも太陽が存在しなければ、時間という概念も存在しないわけであるし。